毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

溺れて死にそうになった時、毒母の弟が言い放った言葉 

私11、兄12歳の時の話です。
よく叔父(母の次弟)は「穴場を見つけた」と言っては、私と兄を辺鄙な所に連れて行ってくれました。
遊泳禁止、普通の人は経験的に立ち入らないところばかり。
母の顔色を伺うと「行った方がいいのかな」と断れませんでした。

質素倹約な毒祖母の次男坊
単に魚介をタダで収穫したかっただけでしょう。
兄も私も子守の必要もないから楽だし、荷物持たせられるし、みたいな感じ。

案の定、叔父は潮干狩りに夢中でした。
そこで波にさらわれ■にかけました。
詳しくは少し不思議な話とともにこちらで

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辺鄙なところなので誰にも助けてもらえませんでしたが、奇跡の連続でどうにか助かりました。

全身打撲擦り傷で痛いし、涙でぐちゃぐちゃな顔のまま、震えながら「溺れた」と叔父に報告しました。
海水もたくさん飲んだので、吐きながら。
しかし
なんと叔父は「あ、そう」・・・さらっと終了。
「早く(アサリ)採れ」と、アサリ採りに夢中でした。
溺れたんだよ!死にそうだった!と力説したら、笑って
生きててよかったな」・・・強制終了。

海水を飲むことは死を早めてしまうので注意が必要です。
体内の塩分濃度は0.9%ですが、海水は約3%とはるかに高いからです。
相当汚ない海だったこともあり、かなり具合が悪かったが、もちろん病院にも連れて行ってもらえませんでした。

しばらく、三日三晩、悪夢にうなされました。
日中も生きている心地がしませんでした。
学校で、ぼんやり窓から外を眺めては
「生きているのが不思議だ。あの声は何だろうか」と自問しつつ、ただ恐ろしい出来事がぐるぐると脳裏をよぎる三日でした。
不思議なことに、三日三晩・・・という言葉通り、4日目にはすーっと消えてしまいました。

9年後にようやく、人に話せるようになり、父に打ち明けました。
その時の、父の怒りようったら。
父は釣り名人だったので、海の怖さをよく知っています。
遊泳禁止区域での浅はかなレジャー、その自覚のなかった叔父に、もともと良い印象は持っていなかったようでしたが、その日決定的になりました。
一方母は「私に似て(←さりげにw)次弟は性格が良くて真面目、子ども好きの優しい子」と大絶賛継続中、いまだに。

叔父(母の次弟)は、髪型を変えた私に「不細工なので似合わない」と言ってしまったり、受験に失敗した時も「アホだ」とけなしたり、叔父から私へのお小遣いが男尊女卑で一番少なかったり。
命や金やモノの価値基準、人の心に鈍感なところが、母の思考と全く同じでした。

海での出来事を打ち明けた当時、弟は高校生でしたが、
「叔父って変。2人の命が危険にさらされたのに、それってどうよ」と冷静な感想でした。
自分の中で、もやっとすることが叔父にあると感じつつ、人には言えず。
海で死にかけたのを機に、徐々に叔父の毒っぷりが見えてくるのでした。

教訓 毒親と仲の良い人物にも油断禁物
ちょっと怖い叔父の話↓

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