毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

18 毒母あるある?「死んだら私にくれるの」これって普通?

私は下着や服を買ってもらえませんでした。

でも兄弟はグ〇ゼ綿100%真っ白な肌着でした。
ちょっとお高いいいやつだよね。

私は母や従姉のお古、下手したら同級生からのお恵みもありました。

学校の靴もめったに買ってもらえず、かなり我慢して履いていたら纏足(てんそく)になってしまいました。
いまだに足の指は茹でエビみたいに丸まっています。
常に血行が悪いので、秋から春まで3シーズンもしもやけができます。

ブラも一枚も買ってもらっていません。
従姉からのお古を大事に使ってました。
いったい、どうやって修学旅行や宿泊学習をしのいでいたのでしょう。
着替えたふりして、しれっと同じのをつけたりしてたっけ。
不衛生ですし、ちゃんとサイズの合った下着は大事です。
お陰で、乳首がこすれてただれたり、よく乳腺炎起こしてました。
こういうのが原因かどうか分かりませんが、後に乳がんにもなりました。

母の節約のしどころは間違ってましたね。
下着は身体に優しいものを・・・後の医療費抑制になるでしょう。(願)
乳がんのはなし↓

 制服やカバンなどは親せきのお古ばっかりで、母は早めに「ちょうだいね」って押さえていました。
それくらいは普通ですかね。

通じゃない毒母は、もっと言いますよ。
亡くなった人の分どころか、亡くなりそうな人にも「ちょうだい」って言えるのです。
形見分けは供養になる」という大義名分をかざして、「もらってあげる」というスタンスでした。

そんな洋服ばかりを着せられていました。

従姉(父方)が若くして亡くなったのですが、しっかり貰ってきていました。
遠慮も配慮もした上でのことなのか定かではありません。(多分してない)

ご家族は寂しくなかったのでしょうか。

私が20歳くらいのとき、こんなこともありました。
父の友人の奥様が余命わずかという話を聞いて、母は突然彼女に近づきました
病院へのお見舞いだけでなく送迎までも、かって出るようになりました。
弱った体をマッサージしてあげる等、専属の看護師のように振る舞っておりました。
子ども心に「なんと優しい母だろう」と思うものの、家族に対する熱量との差に違和感もありました。

しばらくして母は私にこう言いました。
「あの人お金持ちだから良いもの持ってる。死んだら私にくれるの」と。
くれる?
もちろん突っ込みましたよ。
でも本人、「ちゃんと言ってあるくれるって言ったし」と無邪気に答えていました。
怖い・・・
言ってある、ですって?・・・「死んだらちょうだい」って?
よくそんな残酷なことが言えたなあ・・と半分嘘かなと思っていましたが、奥様が亡くなって、本当に貰いに行きました。

あまりにあさましく父がすごく怒りました。
母は人のせいにするのが上手いので私を利用してました。
「なつみが楽しみにしてる」って。
山のように古着を貰ってきたのですが、太い母にはサイズが合わず、片付けを私に押し付けました。
「宝石や良いものは全部あの人の姉妹が持っていった!」と超不機嫌でした。
仕方なく私が、ほとんどリサイクルショップへ。
でもせっかくだから、シャツと帽子と手袋を使うことに。
そのシャツを着ていた日に、たまたま奥様のご主人様が来られました。
シャツを見て、はっとなさるんです。
そして、すごく悲しそうに「ああ妻を思い出した。ああ悲しい、ああ寂しい」言いました。
「妻のを身に着けた他人を見たくない」そんな感じのことも呟かれました。
怒ってるようにも見えました。

「向こうが、取りにおいでと呼んでくれた」という母の話と違うようなのでびっくりしました。

外出先で、こんなこともありました。
その服と帽子と手袋の私を、誰かがじーっと見ているのです。
その人、私と目が合うとあわてて反らして、「いえ、何でもないの。ただちょっと・・。あの、その服と帽子と手袋、お似合いですね」としどろもどろに言い、そそくさと去っていきました。
服と帽子と手袋ずばり三点セットは亡くなった奥様の物です。
褒めたとは思えないほど気まずい感じと妙な視線と態度でした。
ひょっとしたら・・・奥様の姉妹のどなたかだったのかもしれません。

リサイクルショップに持って行った物も、後になって「すぐに引き取りに来るように」言われました。
「この商品はうちには置けない」とのことでした。
受け付けた時は、そんなこと一言も言わなかったのに急に。
そんな事は初めて。
受け取りに行くと、店員さんは触りもせず「そこのそれ!早く持って帰ってちょうだい!」って離れて支持。(爆弾かよ?)

ところが、そこだけでなく他店でも同じことが。
何があったのでしょう?

「貰ってあげるのは供養になるから喜んでくれる 」
母の言う供養って何なのだろうと思いました。
明らかに、ご主人様は喜んではいませんでした。

物に魂が宿るっていうの、あると思うんですよね。
ご主人様が呟いた通り、奥様も物も嫌だったんじゃないかなあって思うのです。
物目当てで友達になったこと、別に大事に使うわけでもなく貰ったこと。

私の父はもう亡くなっていますが、父の着古した服一つとっても愛おしい。
そんな服を誰かが着ていたら、やはり思い出して切なくなるし、「あげた」というより「ちょうだい」としつこく言われた物だったら・・。

そういうのばっかり着てた当時

何をやっても運がなかった、というか本っ当にツイてなかった。

通りすがりの人から、突然唾を吐きかけたり、ボールが飛んできて当たったり。
どちらもたまたま・・・じゃない感じなんですよ。
というのは、朝そんな目に遭って夕方も。
同じ日同じ目遭うという稀有な出来事。
供養という概念が古来からあるのは、やっぱり意味があるからなんだと思う。