毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

食事の誘いが怖すぎ


母が父を外食(焼肉)に誘った。
私は具合が悪い父のため反対するも、母は外食(焼肉)一点張り。
これほど頑なだったのにはワケがあったが、後にドヤ顔で明かされるや、全身が凍りついた。
ついには
父こそが焼肉を望んでいるのだ、と逆説得されて強行。
運悪く
店は大変な混み様で、一時間半も待った。
いつ発作が起きるかわからない父に車の運転までさせていた。
真冬の夜
車中で待つ苦しそうな父をみていられず、母に何度も帰ろうと説得したが、ヒステリックに拒否された。
やがて
遅い食事が始まったものの、父は暑い店内で「寒い」と震えるほど弱っていて、ほとんど食べられなかった。
父は会計を済ませると、今にも気を失いそうな様子で車を運転した。
死なばもろとも・・・
私だけが青ざめ、『弱った父に容赦ない母』と『何も知らぬ幼い我が子』だけが上機嫌だった。
父は帰宅後すぐ布団に倒れこんだ。

【なぜ焼肉に行ったか】
翌日、母は得意げに「なぜ焼肉か教えてやろう」と言ってきた。
「出入りの職人に、アレ(父)がコーヒーを奢ったのが許せない」
「だから高い焼肉に行ってアレに会計させた」
「できるだけアレの金を奪ってやった」
「他人に使われるくらいなら、私が使ってやる」
この後
母は涼しい顔で父に
「今日は寿司を食べに行こう」
私や孫を巧みに使って期待を裏切れないようなワードをこれでもか!というくらい並べて誘った。
しかも
あたかも私と孫の声代弁してるかのようなもの言いで。
なおかつ
昨夜も私や孫をダシにして父が断れないように仕向けた、と耳打ちして笑った
全身が凍りついた私の耳に、父の弱々しい声が。
「・・もう俺・・食べられないから」
私が聞いた父の最期の肉声
そして
焼肉が父との最期の食事になった。
父はこの3週間後に真実を知らぬまま・・どころか、いっそう冷酷に扱われて
逝った。

父の身体が心配で帰省したのに
母の恐ろしい企みに利用され
父への粛清に加担する羽目になった私たち。
今こうして父以外が生きているのは、車での一家全滅を免れたから。
それは父が耐えに耐えたからこそ。
家族を守りきった父の最期のセリフが、胸だけでなく胃にも突き刺さりまくり、しばらく食事が摂れなくなった。

父をアレと呼ぶあたり、ATMかペイペイ的な扱い?
人間だと思っていないから私の訴えにピンとこず、システムが故障しても金さえ無事ならOKな感覚だったのだろう。
とうとう
私のCAPTCHAが、母を人間と認証しなくなりました