毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

祖母(父方)2 姑の葬儀はストレス発散の場 

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「あなたは私の世界一嫌いな叔母(父の妹)にそっくり」と言われて育った
なつみ@毒母第3世代です。

祖母(父方)の葬儀は二人を除いた孫たち全員かけつけました。
母が世界一嫌いな叔母の子らも遠方から(それこそ飛んで来て)遺族として祖母の死を悼みました。
叔母一家には、非の打ち所がないのですが。
叔母が通夜に遅れてしまったことを、母はもう鬼の首でも取ったかのように悪態をつくのでした。
叔母は自営業です。
自分の代わりが居ない以上やむを得ないのに容赦なし。

一方、毒母率いるわが家は
県外に住む兄(社会人)と弟(学生)が、参列しませんでした。
私が連絡しようというのを母が猛烈に反対したのです。
『しないほうがいい』レベルの反対ではなく、めちゃくちゃ叱られました。
「アホなこと言うな!余計なことするな!」
その理由は
可愛いがってもらってないから参列しなくてよい』でした。
普通にお年玉をもらったりしていたので、そんな事ありません。
後日、兄が帰省した折に知った時の驚きようったら。
当然、なぜ連絡をくれなかったのかと怒りました。
やはり兄も祖母を見送りたかったのです。
叱られるのを恐れて連絡しなかったことを後悔しました。
それよりもっと悔やまれるのは、家族誰一人として父の悲しみに寄り添ってあげられなかったことでしょう。
家族を失うというのは本当につらいものです。
私は父が泣いているのを初めて見ました。
一緒に泣いて心を込めて祖母を送ってあげたなら、少しは父の救いになっただろうか・・・自分が親を失って初めて思い至るのでした。

母は兄弟が参列しないことをどのように父に説明したのか。
「可愛がってもらってない。父方の親戚を嫌っている」と父に文句を垂れていたのは覚えています。

「可愛がってもらってないから連絡しない」と真実を言ったのか・・
「連絡した」と嘘ついて「『行かない』と言った」と兄弟の意思表示を盾にしたのか・・分かりません。
いずれにせよ、後の父の兄への対応がちょっと冷たい感じだったと記憶しています。

その数年前にこんなことがありました。
県外で新生活を始めたばかりの兄が、実家に電話をかけてきたら、私は母に
「電話代がいくらかかると思ってる?アンタも話してないで、すぐに切りな。かけてくるなって言え!」と叱られました。
兄の近況をたくさん仕入れて報告していたのは、母を喜ばせようと思ってのことでした。
母の関心事が
息子の近況 < 電話代
であるのは、ただの価値観の違いかもしれませんが『私の母への思慮はただの無駄でしかなかったショック』と『兄が受けたショック』は結構大きかった。
母の指示だと知らない兄から怒りと悲しみでいっぱいの手紙が届きました。
指示だと知ったらショックはもっと大きいのでは。

私は父に大目玉をくらい、弟にも非人道的だとなじられ、散々な目に遭いました。
「そうだよな・・」と猛反省したのですが、その時の母ときたら。
母こそ反省するかと思いきや、父・弟と一緒になって私を非難ごうごう・・いやそんなもんではなく・・それ以上・・「いいぞ!もっとやれ!やれ!」と先頭に立って焚き付ける感じ。
「そう!なつみは冷たい!なつみはケチ!」と加勢したうえ、兄の手紙を読み上げることでいっそう負の感情を煽るのです。

は?
あなたの云う通りにしただけですが・・

呆気にとられて言葉を失った私は、委縮してしまって反論できず叱られっ放し。
母はますます調子に乗って
『自分の全く知らないうちに』←を強調しつつ
『息子を傷つけた娘が憎くてたまらない』←と兄を慮る風を装い
「この子の性格の悪さは叔母(父の妹)にそっくり!」
「父方の血筋が悪いからだ」と多方面に、けなしまくるのです。
とんだ火の粉をかぶった父は、忌ま忌ましそうに私を睨みつけると家を出て夜の街へ消えていくのでした。

電話事件が落ち着いたころ母に「なぜ自分の指示だと言ってくれなかったのか、なぜ助けてくれなかったのか」と問うと
「私だともっと怒られる。アンタだからあれくらいで済んだ」と自分の正当性を主張しました。
汚れ役を引き受けたのが浅はかだったと諦めましたが、後々も尾を引くことになろうとは思ってもみませんでした。
母の救いにはなった・・という自負があったので父に対してはそれで良しとしました。
毒親育ちの悲しい性ですね。
↓汚れ役は幼い時から

↓汚れ役が度を過ぎてとうとう悲惨な目に

↓兄と絶縁状態になるきっかけ

しかし、せめて兄には本当のことを・・と頼んでも「実際に電話口で言ったのはアンタだ」と今さら私を擁護する気がない、というより完全に私のせいにされてしまったのです。

そういう顛末があり、ほとんど兄弟とは電話連絡し合わなくなりました。
この電話事件は兄弟に今も誤解されたまま、父も知らぬまま逝ってしまいました。

葬儀に話を戻します。
親を失った悲しみの中で、息子たちに『ばあちゃん嫌い』を突き付けられるってどうなんでしょう。
人生で最も悲しい出来事であろう父を慰める気がない家族って薄情すぎではないでしょうか。
二重三重につらかったのではないかと思うと・・・
電話事件で正常な判断ができず、子として父の救いに少しもなり得なかったことに懺悔の気持ちでいっぱいです。 

一方、母の叔母いじめは止みません。
出先でも電話でも、他人に会うたび叔母を知らない人にまで、いかにいい加減な人かを吹聴するのでした。
しまいには
『ちょっと通夜に遅れただけ』の話が→『葬儀に遅れた』→『来なかった』→『法要すら一切来たことがない』と変わっているのです。
聞いた方も面白くなさそうでしたが、会うたび叔母の(架空の)失態を暴露し続けるので、とうとう皆「ああ、例のあの人ね。本当に困ったさんね」と。
嘘が真実みを帯びて、またしても母は自分への同情を獲得するのでした。

自分の息子2人は葬儀に参列すらしていないというのに。
自分は香典返しすらまともにしていないというのに。
↓前回の香典返しの話

後に叔母は「地元での事業はなぜかやりにくかった」とこぼしていましたが、母の虚言による営業妨害も一因でしょう。

いまだに耳に残る母の名言
『可愛いがってもらってないから参列しなくてよい』
その理屈でいうと、私も母の葬儀に参列せずにすみそうなんですが。
いいんですか。
・・と訊いてみたい なつみ@毒母第3世代でした。

↓叔母の話。なかなか信じてもらえませんが。