毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

兄の結婚式 母の呪い 傷つくからこそ

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兄の結婚式で、母は急に機嫌が悪くなりました。
新婦がチヤホヤされているのが面白くなかったのか、父が新婦の母と和やかに会話しているのが癪に障ったのか、パチンとスイッチが入ったように怒り始めました。
後日「結婚式での父は傲慢不遜で大変な恥さらしだった」と周囲に言いふらすのですが、その場にいた私からすると、過失割合0(あっても10%)な父への攻撃は、ウケ狙いのネタだろうくらいにしか思えませんでした。
今になって推し量るに・・・
母の目的は、父の評判を落とすだけでなく、自分がやってしまった兄夫婦への罪から気をそらす意味合いもあったのではないか。

というのは、母こそ傲慢不遜なことをやってしまったからです。

新郎新婦への寄せ書きの色紙が回ってきた時のことです。
私は「『兄嫁のファンになりました♪』と書こうか」と隣の母に言いました。
すると実に不愉快な様子で「そんなのだめ。キツイ言葉を」と言うのです。
教訓めいた言葉希望なのね、じゃあ・・と言うことで。

以前兄に「母の食事はまずい」と言われて、かなりショックを受けていたことを思い出しました。
その時「なんてことを言うのだ!」と私は兄に注意したのですが、本音は「真実だからこそ言ってはダメだろ!」って意味合いのものでしたが。
気落ちしている母に「そんなことないよ。独り暮らしが長すぎて外食が多いから味覚がかわったのだろう」などと慰めたのですが、余計に怒られました。
八つ当たりってやつですね。
兄たちが帰省すると母は喜ぶものの、思い通りにならなかったり、気に障ることがあった時、不満をぶつける矛先は私か父でした。
なので父は出掛けたまま家へ戻って来ないこともしばしばありました。
私は彼らが帰った後、いつも待ち受ける愚痴聞きと八つ当たりが本当に嫌でした。
そのたびに、何てことしてくれたのだと腹立たしく思いながら、母の機嫌を取り、時には慰めたりしながらストレスをため込んでいたのです。
以前の電話事件のこともあり、兄においそれと意見できない状況が続きました。
私と同じく実家を脱出できなかった従姉も毒母育ち@第3世代なので、私たちは毎年お盆と正月が来るたびに憂鬱になるのでした。
↓こんな感じ

従姉も毒親育ち

こういう経緯もあったので
「『思いやりを持つように』・・てのはどう?」と。
それでも母は気が治まらない様子で不満タラタラ。
私としては母の気持ちを汲み、今の母を納得させる言葉で尚かつ「そこそこアリかな」と思われる言葉をひねり出したつもりでしたが。

母の書く番になって「字が下手だからアンタ書いて」と色紙を押し付けてきました。
楽しそうにしている二人を睨みながら
「もっとギョッとするようなこと書いてやれ」と言い出しました。
ギョッと?
次の人が待ってると急かされたので取り急ぎ、母に耳打ちされた言葉を書きました。
母の『ギョッとさせる』言葉は、はっきり覚えていません。
でも・・・
本当に呪いのような嫌な言葉だったことは確かです。
父は「あー俺はいい。名前だけ書いといて」とノータッチでした。
ガラではないから照れてるって感じで悪意はなさそうでしたが
先ほど書いた過失割合10%としたらこの場面かなと思います。

呪いのその後 
挙式の翌日、兄夫婦と会った時に、母のあの『ギョッとさせる言葉』がいかに彼らを傷付けたか思い知りました。
二人は私たちと目も合わせず、声に覇気もなく委縮している感じでした。
今更ながら二人の大切な門出に何とひどいことをしたのだろう。
あれは何かの間違いで冗談が過ぎた、と言い訳を必死で考える私の影にサッと隠れた母は
「見てみ!あの顔ったら」と耳元で囁きました。

今度は私がギョッとしました。
私の背後でクックッと笑いを押し殺し、大喜びしていたのです。
後悔してないの?と聞きたかったけど、驚きと薄気味悪さで言葉が出ません。

本気で性格悪いのか?
単に頭オカシイのか?
呆然と突っ立ったまま、どうしたらいいかわからなくなりました。

兄夫婦は傷つき、怒り心頭でした。
でも・・・だからこそ母は大いに喜んだのです。
そして恐ろしいことに、あれほど満足しておきながら・・・
その後突然、電話事件と同じく「書いたのはアンタ」だから責任は私にあるとし、さらに「アンタのせいで兄ちゃんが冷たい。どうしてくれる」と私を責めに責めました
↓ 電話事件はこちら思い付きで感情的に行動しているのか、それとも計画的なのか。
真実は一切隠し「兄夫婦とうまくいかないのは娘が原因だ」と周囲の人に自分の不運を嘆くのです。
そして父をも悪者にすることで【可哀そうな母】と見せかけるのに大いに利用されました。
たまりかねた母方の親族の一人が「なつみちゃん、いくら何でもあれはないわよ」とお説教をし始めた時、母が素早く割って入ってきました。
「もういいの。私がまた何とかするわ。もういいの」と。
そのやりとりでハッとしました。
「またしても。いつの間にか全部私のせいにされている」とようやく気付いたのです。
ここで私に弁解されると母の悪事であることがバレるので、すっ飛んで来たわけです。
まるで・・・私をかばう優しい母のようですが、何のことはない、私が真実を喋るのを阻止しただけでした。
そうして「意地悪な子」というレッテルが貼られた私は、親族たちに「もう少し優しく」とか「融通が利かない」などと事ある毎にチクチクお説教を垂れられる羽目になるのでした。

こうして私は、仲の良かった兄と埋めようのない溝を作ってしまったうえに二次被害、三次被害に遭いながら15年以上過ごすことになるのでした。
↓私の結婚式でもやられました

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