毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

コロナ罹患その後

伯母(母の姉)と、先に罹患した高齢者2人とその息子と嫁ちゃん5人
のコロナ罹患・・その後。
前回、実の姉に冷たい母

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伯母家は携帯電話もなく、自宅はネットもできない。
一台の固定電話機と紙の電話帳だけが命綱。
その綱が伯母の部屋にあることから・・・
私が電話をかけることで安眠を妨害するのではないか
本人以外とも話したいが取り次ぐときにウィルスに曝露させるのではないか
と思うと、なかなか連絡できなかった。

一旦、母に伯母の具合を訊いてみたら・・・ついこの前、連絡があったようだ。
「軽症だから入院せず済んだみたい。たいしたことないのに大袈裟(笑)!」
「伯父はキレやすい。頭オカシイ。話したくないから連絡しなかった」
伯父を悪者にすることで、実姉を見棄てた言い訳をさりげに。
山菜が欲しくなると、伯父を持ち上げてねだるのに、伯母の命懸けの時に話したくないとは・・。

直接、伯母に電話で訊いたところ・・・
始めは少し喉が痛い・・いや、少し違和感がある・・だけ。
熱も咳も鼻水も出ないから、風邪とすら思わなかった・・。
ところが
陽性が出て少し経つと、ドンと具合が悪くなった、という。
喉が痛くて水も飲めない。
半日はだるくて動けもしない。
3~4日間そんな感じ。
その後一か月たった今でも、毎日2~3時間は動けなくなるそうだ。

罹患から一か月して、ようやく(すぐ近所なのに!)伯母と嫁ちゃんが再会したら
嫁ちゃんも伯母と全く同じ症状だった。(ウィルスの株が同じだからか・・)
嫁ちゃんはひと月ぶりに職場復帰したが、身体が全く使い物にならなかったそうだ。
それなのに
80過ぎの高齢者二人とその息子(嫁ちゃんの夫)は、何ともないという。

伯母は苦しかった闘病生活と後遺症をこう語った。
「この一か月で、市販の風邪薬を3箱分飲んだけど全く効かなかった」
「これは今までの知ってる風邪ではない」
悲痛な願いというか、教訓も。
「気付かず外出している他人に気をつけよ」
「絶対にかかってはいけない」

私は伯父とも電話で話したが、ずっと温和な口調だった。
きる際には「(心配してくれて)ありがとう」と何度も・・何度も言った。
頭オカシイ?キレる?

伯母一家の苦労と恐怖を想像すると、母の『たいしたことない』『大袈裟』『笑』は、伯母一家に気の毒すぎ。
思考回路にバグがありすぎる母

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一家全滅の嫁ちゃん家の世話を焼いたが為に罹患した人のいい伯母だが、伯母家では誰にもうつらなかった。
脳梗塞経験者の伯父も、難病の娘も、コロナにかかれば重症化リスクが高かったので、伯母は隔離療養したかったが、行政キャパオーバーで叶わなかった。(ホテル療養なんて都会だけかも)
ちなみに
支援物資どころか、パルスオキシメーターの貸出や医療との連携すらなかった。
それどころか「コロナお断り」で、持病の通院さえできない状況になった。
初めに軽症の烙印を押されると、もはや悪化しても入院は不可能な感じ。
とはいえ
全員、自宅で無事、じゃないけどとりあえず生きて自宅待機期間が過ぎた。
そこでようやく、病院へ行き不調を訴えたが、緑のトローチを処方されただけという。

ところで
ほんの少し接しただけでうつったのに、ともに生活している家族にうつらなかったのはなぜだろう。
飛沫がかかるほど近寄らないくらい仲たがいしているのがよかった?
いや、そもそも会話がないから、飛沫が飛ばないんだけど。
伯母一家の仲の悪さが、不幸中の幸いだなんて。
家が古すぎて24時間換気システムがなくても、山という天然空気清浄機からスキマ風入りまくりってのもいい仕事をしている。
『理想でない家』のお陰で、生き延びた伯母一家の『そこで生きる』という運命を想わずにいられない。