毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

サイコパスはこうして生き残る


コロナ療養期間が過ぎて、伯母(母の実姉)に逢おうと電話をしたら・・
伯母は「来るな!」

昔、伯母がC型肝炎になった時と同じだなあ、と思い出した。
社会問題になりつつある1990年頃。
まだ補償もなかったので、病気だけでなく高額な医療費にも怯えての入院。
大部屋で他の潜在的被害者とともに闘病していた。
訳あって家族が付き添えなかった伯母は、元看護婦専業主婦実妹(私の母)を頼った。
幼い頃から今日まで姉として支えてきたのだから、当然の成り行きだろう。
でも、それってあなたの感想ですよね?とばかりに無視できる人が一名・・・
当の本人、母である。
母は私に「洗濯物を受け取るだけ」「食事を手伝うだけ」とのみ説明し、私がバイトの昼休みに伯母の入院先へ通うことになった。

初日
私は、伯母に逢える♪くらいな軽いノリで彼女の好きなヤクルトを持参した。
が、伯母は機嫌が悪かった。

二日目
伯母は既に食事を終えていて、私の出る幕がなかった。
「もういいから帰れ」と言われ、役に立たなかった感満載だった。

三日目
バイト先の雇人がいなかったので、フライングして手弁当を食べて、12時の鐘と同時に職場を出た。(テヘペロ
思ったより早く来たので驚く伯母。
渾身の力をもって慌てて食べるので、「一体どうした!」と、逆に驚いたわ。

伯母の食事の片付けをして、ようやく役に立てた・・ホッとしたところ、伯母がキツイ口調で「帰れ。自分でできるから、もう来るな!
ゆっくり話でも・・と思っていただけに、少し寂しかった。

これを母に報告するや
感染症だから特別な棟に隔離されて、見舞いに来る人はほとんどいないから怖い」と初めて本音吐露
「これで行かなくて済む」と喜ぶではありませんか!
Σ(ー_ー)!!
なぬっ?
母は、感染症危険性説明しないまま、私にやらせていたのである。
しかも「なんなら、食べきれない伯母の食事を食べてもよい」と、ご褒美的なニュアンスだったけど、これほどタチの悪い冗談があろうか。

今でこそC肝についてわかっているものの、当時は情報も知識も不足していて無闇に恐れていた伯母。
退院する時、看護婦が
「非常に辛い症状であったのに、全て自力でやってたから驚いた」
と言っていたので
「なぜ甘えてくれなかったのだろう」と腑に落ちなかったが。

母が私を寄越こすとは思いもよらず、感染を心配してすぐに帰らせていた伯母。
私がご褒美に手をつけないように、苦しいのに無理してまで完食していた伯母。
人に甘えることができない、自己犠牲的な伯母流の思いやりだった。

C肝がコロナ並みに感染しやすかったら・・
あやうく私も感染症にやられてしまうところだったわ。
(注:血液感染なので、血液に直接触れなければ感染の恐れはないようです)
それにしても、私には病人の食べ残しを勧めるあたり・・
「うっかりしてたわ(テへペロ)」では済まされない。
ちょ、待てよ。本当にうっかりなのか?

同時期、幼馴染が感染症が原因で入院した時も。
「俺も見舞いに行く」と言った弟には「感染するといけないから」と制止、私だけを連れて行ったうえ、私を盾のようにして(なんなら背を押して幼馴染に近付けすぎだろうって状態で)、私の背後から会話していたな。
あの時も無事だったが、そう言えば・・・どちらも
私には巨額保険掛けられていた頃であった。
母の真意を想像すると恐怖と怒りで
((((;゚Д゚))))震えるけど、巨額だと思っていた保険金が少なすぎてガッカリ!
フトコロ寒すぎて震えが止まらない、なう。
↓第一弾が失敗したので、自然発生的第二弾に希望を託したのかも!

dokuhahadai3sedai.hateblo.jp

とはいえ、母が伯母に薄情な理由は、感染症だからってのもあるけど伯母家は貧乏だからってのも間違ってない、と思う。

伯母ちゃんへ
あれほど母に尽くしてきたのにね?
母ほどズルいヒトはいないよね?
どれほどの嘘をかましてきたのか知ってる?
・・・伯母が元気なうちに、語り(昭和ではチクる、と言いますが)合いたいものだ。
金持ち(他人)なら看護するdokuhahadai3sedai.hateblo.jp

義母を率先して介護した母の末路dokuhahadai3sedai.hateblo.jp

父とは真実を語りあえ(チクれ)ないまま時間切れ

dokuhahadai3sedai.hateblo.jp