毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

あるある 横取りが好き 奪われたモノ  

伯母(母の姉)は高齢でしかも大病を患っている年金生活者です。
それでも親族の冠婚葬祭には、「長女だから」と何かと大金を要求されます。
司令塔は、私の母です。
そして『その大金を本来貰うはずの人物』が
ふとしたことで母の機嫌を損ねた日には
「預かっているあのお祝金はもうやらない。あれは私の顔を立ててくれたものだから私のモノだ」といい自分のポケットに入れてしまうのでした。
ある日、親族から預かったお祝金を
「多すぎ。少し抜いておこう」としたけど、のし袋に金額が書かれていたので断念したのを目の前で見ました。
正確には、(出先で)中袋を用意していなかったので偽造できなかっただけでした。

毒母は独り占めが好き
親族へのギフトを母に託したとき、お礼を言われないので変だなと思っていたら・・・
台所の棚に大量に隠されていました。
また
ぼろぼろのタオルを使っていた(前出の)伯母家にタオルのプレゼントを母に預けたら・・・
これまた母が使用していました。
母にモノを託すことは・・・
泥棒にお金を預けるようなものだったのでしょう。
とにかく母を信用していたのでまさかこうなるとは思ってませんでした。
これを洗脳状態といいます。

酷いのは取り返しのつかないモノでしょう。
最愛の祖母(父方の)との最期も奪われました。
↓祖母との思い出は胎内記憶から

入院した祖母(父方)へ靴下を母に託しました。
学生だった私がバイト代で買ったお店一!上等のものでした。
ところが
「すっごい暖かい♪」と、ご機嫌で履いていたのは母でした
自分で手渡さなかったのがいけなかったと反省し
「一緒に入院先へ連れて行って欲しい」と頼んだら
「また今度」と毎回断れられました。
じゃあ自分で行こう!と思ったのですが
「来ると邪魔」と言われ、なぜか入院先を教えてくれませんでした。
会えないまま・・
とうとう最愛の祖母は亡くなってしまいました。

母は父にも同じようなことをしました。
最期のチューブだらけで話せなくなった祖母を前に父は
「なぜこうなるまで教えてくれなかったのだ」とひどくショックを受けたようでした。
それを母から聞いて、父に同情するとともに胸が痛いほど辛い私の前で
母はっていたのです。

母は故意に会わせなかったくせに、
「私ばかりが介護した」
「(父を含め父方の)親族連中は誰も見舞いすら来なかった」
と父をなじり
「義母さんはうちにあの土地をくれるって言ったから私のものだ」
等と言い放つのでした。
瀕死の祖母に確認の仕様がありません。
(てか、それどころではないでしょう)
父も親族も、母は元看護師だったので
介護や見舞いをすすんで引き受けてくれていると思ったでしょう。
間違っていませんとも!
私の目にも、そう見えていたもの!!
↓看護師時代の逸話はこちら

dokuhahadai3sedai.hateblo.jp


でも、
「本当は違う。無理やり押し付けられた」と突然言い出しました。
こちらが
「誰かに変わってもらったらどうか」
「私も手伝うよ」といくら言っても
「たいしてすることない」と自分一人でやりたがり
「祖母は元気だ」と見舞いも寄せ付けなかったのに、です。

祖母へのギフトを着服する一方で
【姑の介護を押し付けられた悲劇の嫁】を対外的に吹聴し、
身内には
「あの土地はうちのものだ」と主張し始めたのでした。

彼女にピッタリの職業は、看護師でも母親業でもなく、後妻業でしょう。