- 災いが起こる老木と祠(ほこら)
- 謎のお婆さんの予言
50年近く前、実家の南には水田が広がっていました。
その一部に老木と祠(ほこら)があり、地主さんはそこだけ避けて耕していました。
木は大きくて、大人でも抱え切れないほどの太さです。
祠の石台にはには建立した人の名が数名刻まれていました。
神様が祀られているようでした。
私が小学一年生になったばかりの頃、その木に登ることになりました。
兄とその友達が登り始め、私も挑戦。
そこに、見知らぬお婆さんが血相を変えて走って来ました。
エビのように腰の曲がったお婆さんが、どうやったらあんなに速く走れるのかというくらいの速さで。
来るなり猛烈に怒られました。
「神様に足かけるとは何事じゃ!」
兄は、まさに登ろうとしていたところで、木に登ってはいませんが、祠を踏み台にしていたのです。
兄はお婆さんに足をベシッと叩かれました。
「この足にバチがあたる!」と。
三人ともは怖くて泣きました。
しかしお婆さんは私の方へ振り向くと、にっこり笑って優しく言うのでした。
「あなたは大丈夫」
しかも二度も念を押すように「あなたは大丈夫」と。
それから一週間もせずに起きた交通事故で足を負傷。
前回のお話↓dokuhahadai3sedai.hateblo.jp
事故直後、「なぜ自分だけが無事なのか」が腑に落ちるあまり「!そういうことか」と脳内テロップが。
あの時確かに私は、「!そういうことか」と納得したのです。
事故に遭うから自転車に乗らなかった・・・というのと
あのバチがあたった・・・というのと
「あなたは大丈夫」・・・の意味
三つの納得でした。
偶然にしては、少し不思議だなと思いました。
見通しの良い交差点にもかかわらず、兄も私も高校生もバイクが見えなかったこと。
そしてバイクのおじさん自身も「見えなかった」と。
そのおじさん、事故が三度目。
二度は自分がはねられて、そして今度ははねてしまった。
ものすごく気をつけて、スピードもかなり遅くて(自転車並みだったのが不幸中の幸いでした)、それでも事故に遭ってしまったと泣きました。
あの木には神様がいる
わりと最近の話ですが「神木に向かってトイレを流しているので神様が怒っている」と、木のすぐ南に新築した家の主人は、忠告されたのですが信じませんでした。
それどころか、「伸びた枝が邪魔だ」と地主に文句を言って切らせました。
地主は、木と祠の事情を知っていたので怖くてできず、業者にやらせることにしました。
その業者、剪定の最中に弾けた枝が目に突き刺さり、失明してしました。
次に頼まれた人は、「健康診断したばかりでどこも悪いところがない」と健康自慢の働き盛りの方でした。
しかしその木を切ったすぐ後に末期癌が判明し、2か月ほどで亡くなりました。
その後、南の主人は、よくわからない病気で寝たきりの末若くして亡くなりました。
10年ほどして、水田はある会社の駐車場になりましたが、その木と祠はそのまま中途半端な場所に鎮座。誰かがお世話をしていたようでした。
とうとう数年前、木はバッサリと切られ、祠だけが残りました。
すると、その祠のすぐ南の家の住人(若くして亡くなった主の奥様)が亡くなりました。
続いて、祠の南西の家の主人が急逝。
その3か月後、祠の北西の家の主(実家の父)が急逝・・・。
幼少期の事故や木にまつわる出来事を思い出しました。
・・・
たまたまでしょうか。
まっすぐでない木、曲がりくねった、コブの沢山ある老木は厳しい魂をもっているというブログを読んで驚愕しました。
そのとおりの老木でした。
祠に足をかけたこと・・・
わざわざ建立したご先祖様と、来ていただいた神様にもとても失礼な行為だったと反省しなくてはいけませんでしたね。
これまで守ってくださったであろう何者かに感謝すること、木も生きているのだという当たり前のことを自覚して謙虚に生きたいです。