小学校1年の時の交通事故
悪い予感は当たるものだ
いつものように、兄と徒歩15分の所の習い事へ。
兄は自転車で、後ろに私を乗せていました。
その日に限って、いつも乗る自転車を拒否する私。
兄が急かしますが、何となく乗る気にならなくて小走りで追いかけていました。
とうとう兄が「遅れるから早く乗れ。もう先に行くぞ」と言ったので、仕方なく私は「あの横断歩道を渡ったら乗る」と言いました。
50メートル先にある横断歩道を渡ったら・・・そこまでは小走りで。
横断歩道は黄色の点滅信号で一旦止まりました。
そこで兄が「今のうちに乗れよ」と。
でもやっぱり私は「いや、渡ったら乗る」と。
その歩道を横断するときに、自転車の兄だけ右から来たバイクに跳ね飛ばされました
その瞬間、「!こういうことか」と脳内テロップが。
見通しのいい道路で、確かにバイクなんていなかったのに。
その証拠に、直前に高校生のお兄ちゃんも渡っていたので大丈夫だったのに。
まるでバイクだけ異次元から来たかのようでした。
↓ ことの発端はこちら。ちょっと怖いご神木のバチ
いやいや・・子どもは視界が狭いらしいので、ちゃんと見ていなかったのでしょうけど。
兄は命は助かったものの、大けがをしました。
もし二人乗りをしていたら、もっとひどい状態だっただろうといわれました。
携帯電話のない時代。
すぐに今来た道を走って帰り、母に助けを求めました。
母とすぐに現場へ向かいましたが、兄は病院へ運ばれた後。
母は、「なんでアンタだけ無事なの?(授業料が)勿体ないから早く(習い事)へ行け!」と叫んで病院へ行きました。
目の前での事故はショックだったので、1年以上自転車に乗れなくなりました。
しばらくは自転車を見るだけでも怖かったです。
兄は入院中に叔母(父の妹)からお見舞いをうけました。
大好きだった『ドラえもん』を読みたいというと、叔母は当時あった全巻を揃えてくれました。
兄も大喜びで、私も弟も夢中になって読みました。
事故という悪夢を忘れさせてくれる癒しアイテムでした。
しかし母は、その見舞いの額が少ないと文句を言いました。
ずーっとずーっと言い続けました。
事故で保険がおりると聞いて笑顔を見せた母が、目当てのお金が漫画本に変わったと知るや落胆して、腹立たしげに叔母の悪口を吐く様・・・なんと醜かったことでしょう
事故は、叔母に何の非もありません。
むしろ、送迎が面倒なので付き添いもせず、幼い子どもに二人乗りをさせて通わせていた親にある・・・という反省も母にはありません。
そんな母に、私たちの心のケアにまで考えが及ぶはずもないわけで。
母の癒しアイテムは、救われた命でもなく心配してくれる身内でもない、お金なんですね。
それにしても、授業料が勿体ないってどういうことよ。
動揺しすぎてそれどころじゃなかったです。
途中まで既に徒歩で2往復。
さらに着いたころには残り時間も少なかったんだけど。
あの日、「なぜアンタだけ無事なの」と問われたとき、母に責められたような気がしました。
「アンタだけでも無事でよかった」では、兄がかわいそうだから・・そう思うような共感性のある人ではないから、言葉通り単に疑問に思っただけでしょうか。
不用意な発言は後々まで心の傷として残るものですね。