毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

乳がん もう片方も切ることに 効いたモノ 捨てたモノ

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乳がんで左の乳房を切った後、体力が回復次第、右も切る予定でした。
細胞診の結果と、右にも怪しい影が認められたからです。
日に日に元気を取り戻す身体に反比例して、気分はどんどん滅入ってきました。
また切るのか・・・と思うと。
◆注意◆以下、一瞬ですが読むに堪えない箇所がございます。
あの手術の時、心臓に近い部分の局所麻酔だったからか、効きのあまいところがあって。
そこに電気メスがザックリ入ったんですよ!
「ぎゃっ!」だか「ぐえっ!」だか、叫びましたよ。
まるで感電したかのよう。(したことないけど)
気持ちがわかりすぎて、もう魚の活造りが食べられません!

◆術後の仕事◆
当時は派遣社員でした。
次の派遣先が決まるまでの無職期間に、内緒で手術をしました。
もう少し休ませてほしいと頼んだのですが、人手不足だったようで。
派遣会社と依頼企業双方からの要望で術後2日後に面接があり、その翌日から普通に出勤しました。
顔色の悪い、覇気のない、病み上がり(まだ上がってませんでしたが)の私でも売り手市場でした。(超々氷河期で冷や飯食わされた挙句、人手不足ってなんなの?っていう時代)
左胸をかばうので妙な態勢で挙動不審と思われながらも、たまに傷口から出血して、更衣室で涙をちょちょ切れ(←古い)させながらも、真面目に働きました。
失業手当も貰わず、ゆっくり静養もせず。
毒親育ちは自己主張が下手で、真面目です。

過去ブログ↓

効くと聞いたモノはいろいろ試しました。
手に入らない食材はサプリメントで補いました。
サメ肝油、アガリクス・・。
(なお、効果効能は一体験談ですので自己責任でお願いします)
私はファンケルのこれを↓ 
今もあるんですね。味噌汁にいれるとキノコ感満載でした。
(味、めっちゃ濃いです)


【自分に足りないモノ】を探すうちに、逆に【何を身体に入れないか】を考えるようになりました。
食事は一変しました。
添加物が入ったもの、不自然な加工食品・・・は一切摂るのをやめました。
ホルモン様の薬剤にさらされた恐れのある食べ物(特に動物性のもの)も排除しました。
癌になる疑いのある物質を身体に入れたくないからです。
特に一次・二次成長期に取り入れてしまうことは特に危険だそう・・。


主食は、玄米を圧力なべで炊くか、分づき米で粗食にしました。
粗食と言っても、山草や野菜の美味しさ気付くと、粗末ではなくごちそうでした。
ヨモギとか、フキノトウとか・・
こんな美味いものがあったんだ!と新鮮な驚きとともに、気付いたら草ばっかり夢中で食べてました。(貧乏か!)
後になって身体にかなり良かったのだと知りました。
フキノトウって抗がん作用があるのですってね。
フキノトウに含まれるペタシンは、抗がん剤メトホルミンやフェンホルミンの少なくとも1700倍の活性を持つのだそうです。)

デトックスも重要で、
通勤の片道10㎞を自転車にしたら、汗をかかない私が、いっぱいかくようになりました。
筋肉も付き、基礎体温が上がりました←これ大事です。
上がらないうちは、これ↓で冷えを取りました。

肝油は冷えた身体をポカポカにしてくれました。
冷えを取るのは鉄則です。
日本人は亜麻仁油などのオメガ3系の油は吸収しにくいのだそうで。
なので海のモノがおすすめです。
そして
なんといってもストレスになるものは片っ端から止めました。
会社での面倒なお付き合いや、職場での女子のお菓子交換、ストレスの多い職場での昇進。
全て捨てましたが、ただひとつだけ・・・
最大のストレッサーである毒母からだけ逃れませんでした。

そろそろ次の手術・・・
イムリミット間近に、最後の最後は
天の助けを乞いました。
↓つづく