毒ママを選んで生まれてきたらこうなった

生まれる前と胎内記憶のある毒母第3世代なつみ

24 1985年6月18日の豊田商事事件と毒母

母が騙され、被害は相当な額だったと記憶しています。

貧乏だと欺(あざむ)かれて育った私ですが、「いったいどこにそんなお金があったのか!」と真相を究明する間もなく、家庭内毒母サバイバルゲームがますますハードに!

 

豊田商事事件とは

1980年代前半に発生した、豊田商事による金・地金を用いた悪徳商法現物まがい商法)を手口とする組織的詐欺事件である。高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭い、被害総額は2000億円近くと見積もられている。当時、詐欺事件としては最大の被害額である。強引な勧誘によって契約させられた挙句に老後の蓄えを失った被害者も多い。1985年豊田商事会長の永野一男が、事件を取材中のマスコミの目前で殺害される事件が発生した。Wikipediaより

 
「●●の銀行マンに騙された」と憤っては誰彼構わず愚痴をいい、怒りのはけ口を家族に向けたので私たち家族は悲惨な目に遭いました。なかでも真っ先に犠牲になったのは私でした。すっかりお金を失ってしまったため、私は進学できず中卒で働く羽目になりました。↓

dokuhahadai3sedai.hateblo.jp

「ごめんよ私のせいで進学させてあげられなくて」という健気な母ではなく、「お金がない」と泣き落としを使い、私の進学を全力で阻止した上に働くことを強要しました。
当の本人はいたって今まで通りの生活を続けていましたから、私が母の尻拭いをさせられたようなもんです。


後年、そのことを言ってみたら「あらあ?あなたが自分でしたことよー」とシラをきりました。そして母の口からは、豊田商事と銀行の悪口が壊れたレコード(古っ!)のように吐き出されるだけ。

謝罪の一言もありはしないのでした。

 

当時、会長が刺される衝撃的なシーンがテレビでそのまま放送されました。

子ども心に怖かったのですが、それよりも母のテレビを観る姿の方が恐ろしい気がしました。

母は実に愉快そうにヤジを飛ばしていたのです。
勧善懲悪の時代の申し子である母は、私のサバゲーをどう締めくくっててくれるのだろう・・・と思うこの頃です。